2019年06月

倒産

馴染みの小料理屋が閉店した。
もう30年来の付き合いだから、閉店は寂しく感じた。
30代の頃は1週に2度、多いときは週4度くらい通って、晩酌代わりに利用していたが、40代の頃は月に1度に減り、50代の頃は年に2度ほど足を運ぶくらいになっていた。
最近は、店の前を車で通りすぎるだけで、ここ10年はご無沙汰していた。

店主は2歳年上だから、個人営業の料理屋の店主とすれば、まだまだ現役バリバリで動けるはず。
健康を害した話しは聞いていないし、最近フッと見かけた姿も変わりなかった。


閉店の所以を尋ねる気はないが、商売人が商売を畳む理由は「儲かっていない」に尽きる。
客が減って売上が落ちて、採算が取れなくなって、商売は消えて行く。

客の数が増え続けている商売は繁盛し、減り続けている商売は衰退する。
極めて当たり前な商売の原理原則だ。
だから、商売を続けて行くためには、「客」を増やすための仕掛けや工夫が必然だ。

繁盛している店が「今のままやっていれば安泰だ」と思ったら、必ず落ちる時が来る。
今の繁盛を支えてくれる「客」は、いずれ店を離れる時が来るから、繁盛している時でも、増客のための仕掛けと工夫を怠ってはならない。

商売は、実に地道な顧客創造の連続で成り立っている。





 

商談


家庭菜園でキュウリを作るのに、神頼みしたって実りは得られない。
土を耕し、元肥を入れて、種を撒き、水を与えなくては芽も出ない。
そもそも“種”を撒かなきゃ芽すら出るわけがない。
自然の道理だ。

海に釣りに行って鯛を釣るのに、針に餌も付けずに仕掛けを投げ込んでも、鯛は釣れない。
撒き餌を効かせて魚を集め、海底付近に餌を漂わせて、用心深い鯛に食い込ませる。
天に向かって合掌し、「釣らせてくれ」と頼んでも、理に叶わなければ釣果は無い。


営業担当の数字が伸びない。
営業の部門長の報告を聞けば、売れない理由を饒舌に語る。
報告内容はなかなかの説得力があって、聞くほどに「なるほど・・・」と思う。

しかし、営業の数字が伸びないのは、“決定的に商談の数が少ない”からだ。
月に100件の商談をする人と、月に5件の商談をする人に、成果に差がないことなど、ビジネス40余年の経験からお目にかかったことがない。

キュウリの栽培で5粒と100粒の種まきが、同じ収穫になるはずがない。
5回しか投げ込まない餌と100回のそれとが、同じ釣果であるはずがない。

種を撒かなきゃ芽は出ない。
お客様にアプローチしなきゃ、商談に繋がるわけがない。

今の時代、待っていて注文が入り続けることなどありえない。




 

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女房の電話の話しが聞こえて来る。
久しぶりの友達との話しらしく「~~今度、会おうよ~」

この手の話しは愛想良しの話しで、当の本人は“会う”気はほとんど無いのだ。

取引先の商談でも「これから先も御社に発注するから、この見積、もうちょっと値引いて・・・」なんて話しはよく出てくるが、その場限りの値引きに使われる常套句。

「分かりました。次回分の注文書を頂ければ、今回分の値引きを受けます」と切り出せば、先様は大体困り顔になる。

「今度とオバケは見たことが無い」のだ。

本当に会いたい相手なら「今度会おうよ」と言われたときに、「何時にする?来月空いている日は?」と話が具体化する。

「今度会おうよ」は概ね社交辞令で、多くの人がそう思って使っているが、ビジネスの場では社交辞令と使い分けなくてはいけない。

ビジネスに「そのうちに・・・」という時間軸はない。
「〇月〇日〇時までに」という具体的な時間軸が仕事には必要だ。

もっと、ビジネス社会には「今度」のオバケより怖い魑魅魍魎や妖怪・怪獣がウヨウヨしていて、のんびりしていたら、食い殺されてしまう。
そんな恐ろしい輩を見たことが無いアマチュアビジネスマンは、呑気に「また今度・・・」と可愛いオバケと戯れて浮かれている。








 

サンマ漁船

私が就職活動をした昭和52年当時は、オイルショックの影響で経済が低迷していたので、企業は新卒の採用が控え目だったから、同期の学生は総じて就職難で苦労した時代だった。

また海洋学部という特異な学部だったせいで、海事関連の就職先企業は限られていた。
200海里経済水域(=今で言う「排他的経済水域」)が施行されたこともあって、造船や漁業などの海事産業が低迷期にあったことも重なって、同窓の学生の多くは、運輸やサービスや小売など、海洋学とはまったく関連がない企業に就職した。

運よく船舶関連の中堅企業に勤めることが出来たが、不況の最中だったので、新卒ながら今の時代とは違って、相当に厳しく扱われた。
「新卒」などと言ってやさしく丁寧な扱いなどされず、教育もなくて、入社翌日にはすぐに現場に突っ込まれ、年配社員に出来の悪さを頭ごなしに叱られた。


今年の大卒者の就職率は97%を超えていたそうだ。
学校を出れば、引く手数多だから、就職活動は「自分の希望する職種や就労形態に合った企業を選ぶ」という点で、希望に合う企業に入ることに苦労すると聞いた。

「就職できるかどうか」で苦労した私の時代とは大違いだ。

しかしながら、振り返って思えば、就職難の時代で苦労の経験が出来てよかったと思う。
厳しい仕事観を詰められて、その経験はとても貴重だったと、今更ながら思う。




仕事観が大きく違った現代の新卒者は、30年後、50代を迎えて、日本の産業の屋台を担う世代になったとき、どんな姿勢でビジネスに臨んでいるのだろうか?

 

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思い通りの結果が得られなかった場合、結果を嘆く前に、原因を探らなくてはいけない。

手順の積み重ねが結果に繋がっているから、思い通りの結果が出ないということは、どこかに手順の悪さがあったことになる。

原因究明を面倒臭がらず、絡んだ糸を辛抱強くほぐして行くような作業だ。

原因究明ができれば、次からは絡みやすい手順や工程が想定できるようになるから、次に手順を組み立てるときに、企画や計画の質がグンと上がる。


営業が受注活動で失注してしまうのも、競争見積で負けてしまうのも、何かの原因があるはずだ。

人事がうまく人集め出来ないことを、「求人難の時代」と諦めず、原因究明をして手順を工夫すれば、良い結果に繋がるはずだ。
求人には豊富な経験があるから、人事に“効果的な手順”をアドバイスしたところ、人事担当者の精力的な活動のお陰で、今期は計画を前倒しする採用が実現した。




趣味の菜園で収穫の結果が期待外れになるのも、原因を究明しなければ、次年度も失敗を重ねる。

海釣りで超遠投に取り組んでいるが、思い通りの飛距離が出ないのは、自分の遠投法に何か原因があるから、それを探らないことには飛距離は伸びない。

結果が期待通りでない場合、その原因究明をする面倒臭さが「楽しい」と思えないと、その道の一流には至れない。





 

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