2016年02月


雨後の水たまりに竿を出しても魚は釣れない。


「釣れないのは根性が無いからだ!」

と無茶苦茶な精神論を展開したのは昭和の話しだ。


「水たまりだろうが、釣る気になれば釣れる」

という理屈で社員教育をやった時代があったのだから、

振り返ってみると恐ろしい時代だった。


魚が居る場所を見つけて、更に撒き餌をして群を寄せて、網で掬う効率的な手法で最大の成果を得るのが合理的で今風のやり方だ。


精神論ではなく仕事を科学して論理的にやらなくてはいけない。


思考回路が精神論・根性論だけになったら要注意だ。


古参が精神論を重用するのは分かるが、最近は若者の中に合理性を欠いた精神論だけの企業人がいるから驚く。


出来もしない目標を掲げて精神論を説いても、組織はついて来ない。







毎年、この時期になると、清水久能山石垣イチゴを食べに出向く。


イチゴラインという海岸道路沿いにたくさんのイチゴ園が並んでいるが馴染みの店を利用している。


予約制で一つのハウスに1家族しか入れず時間制限もないから、気兼ねがないので気に入っている。


ところが今年から予約制が無くなり、料金も値上がりして、ハウスには管理者が同行するように変わった。


摘み取ったイチゴの尖り先だけ食べて7割方残る実を捨てる客や、持参したバッグにイチゴを詰め込んで持ち帰る客が増えたためだそうだ。


マナーとかモラルの欠片もない心無い一部の客によって、優良店舗が堕ちてしまった。


残念なことだ。







「優れた素質や価値を持つものは、多少状態が悪くなっても、それなりの価値がある」という意味だ。


鯛は味も良く姿の美しい「めでたい」とされる吉事の魚なので、その鯛が仮に腐っても鯛は鯛であることに変わりはないという所以である。


鯛と似た見方をされるのが“ベンツ”だろうか。


例え100万円の中古ベンツでも、高速道路の追い越し車線で後に迫ってくれば、道を譲るのが常道だ。


150万円の新型軽自動車が後を煽って来ても、ベンツ程気遣って道を譲る感じではない。


ベンツが並走していてウィンカーを出せば前車との車間を明けて入れるが、軽自動車がウィンカーを出すと車間を詰めて自車の後ろに入れるようにしてしまう。


値段ではなく、“箔”とか“威厳”が違うのだろうか。


腐った鯛を食べて腹を壊すのは困る。


オンボロで立ち往生するベンツでも困る。


思考回路は合理的なのだ。








創業者が歳を重ねて、後継を済ませた企業がある。


創業から40年も会社を引っ張って来た組織を、後継者が引き継ぐのはなかなか難しい。


商売自体は上手に維持することができるのだが、組織の人心を取り込むのは至難だ。


会社の歴史を創業者と共に築いて来た古参は後継者に心服しないので、組織力が後継を機に低下する。


創業者のリタイアに合わせて古参も整理出来ればいいが、従業員は簡単に整理という訳には行かない。


足並みが乱れて、やり手社員が歯抜けするようになると、社業が大きく傾くことがある。


高齢と健康の問題で後継した製造業の会社は、後継後3年を経て主要な技術者が半数に減ってしまった。


既存顧客から従来品の注文が続いているので収益は横ばいだが、新製品が出ないので、早晩業績は急下降することになるだろう。


2代目が技術陣との軋轢を放置したツケのようだ。


会社は譲り渡すのも、譲り受けるのも、どちらも難しい。








仕事は年数を重ねれば巧くなるし、職能が向上すれば任される仕事領域も増えて来る。

「任された仕事だから俺の裁量で・・・」

と考えるのは自然な思考回路なのだが、任された仕事だからこそ“報告”が重要になることが分かっていない。


「任される」とは、仕事の結果に責任を負えることだ。


巧く仕上がって当たり前なので、結果が普段通りに良ければ報告は重要ではないが、結果が悪かったり問題が起きているなら報告は欠くことが許されない。


重用される管理者は報告が多く、昇格が頭打ちになる管理者は総じて報告が少ない。


報告が少ない管理者は仕事の裏を取られる。


つまり監査の目が働く。


報告が少ないから情報不足なので裏を取られることになる。


管理者で報告が出来ない、あるいは報告が少ない人は致命的だ。


出来る社員は報告が必要十分な人だ。







↑このページのトップヘ