2015年02月


若くして所帯を持ったので、当時は食べて行くことが精一杯で、食うこと以外に気が回りませんでした。

長女が生まれたときに勤め先の社長からお祝いを頂いたのですが、御礼の電話を入れるにも自宅には電話自体が無かったので、
「会ったとき直接お礼を・・・」
と思っていましたが、その機会が無くて御礼を失念してしまいました。

ある日、上司から
「社長が君にお祝いを送ったらしいが届いたのか?」
と問われて赤面しました。

このときの恥ずかしさを深く心に刻んで、以来は礼や義理を欠かないように心掛けるようになりました。

最近の人達は、どうもやってもらったことの礼を欠くことが多いようです。

余りの多さに辟易して
「やり過ぎて、やってもらうのが当たり前になってしまったかもしれない」
と思うようになりました。

別に返礼やお世辞を期待している訳じゃありませんが、分け与えても、気遣いしても、まったく反応が無いからツマラナイのです。

自分が撒いた種だから、その反応が無いことに肩を落とすなら、初めから気遣いなど止めれば済むことです。

まあ性分ですることだから仕方ありませんが、これから先は自分の首を絞めるような気遣いは止めようと思います。



家の給湯器が突然に壊れて、寒いこの時期に風呂は使えず、台所も冷水では耐えられないので、急遽近場の店に来てもらって修理を頼みました。

下見の結果、給湯器の配管が数か所で割れていて、ガス配管も腐食してガスが漏れているとのこと。

結論からして「給湯器の寿命で機械を入れ替えなくてはダメだ」と言うことになりました。

修理なら費用は抑えられるが日数を要する。

入れ替えなら即日対応ができるが費用がかさむ。

結局、寒さと不便さと緊急性から機械を入れ替えることにしました。

他の業者との相見積を取る間もない場合、相手業者の言いなりになるしかありません。

この場合、「今回はたまたま良い業者に当たって得をした」という演出をしてもらえると、客の心情は収まりが良いと感じました。



社員があまり意に介していないので、同じことを何度も繰り返し教え続けることに疲れてしまい、根気が萎えてしまうことがあります。

100回言って効かなくても、101回目を繰り出す辛抱が自分にはあると思うので、自身では相当に辛抱強いと自負しています。

ですが歳を重ねたせいか、最近は辛抱が利かなくなって諦めることが増えたように思います。

懲りるわけには行きませんから、それでも「辛抱だ」と自分に言い聞かせて続けています。

「打ち出の小槌が欲しいなぁ~」

なんて絵空事を浮かべることがあります。

まあ懲りないで辛抱一番、続けるしかありません。







マーケットには限度があって、膨大に見えても実態の売上獲得量は限られています。


自動車産業のマーケットは膨大ですが、その需要が1社で補われている訳ではないので、最大手のトヨタでもマーケットの2割を占有することはできません。


伸びるマーケットの中に居ても、その内の一部の需要を獲得する作戦を講じるのが経営です。


年間で2億円の注文を10年取り続ける経営があれば、同じマーケット需要の中で、年間5億円を4年で取る経営のやり方もあります。


自社が対象にしているマーケットがどれ位の需要量なのかを類推しながら、獲得する量を定めることが計画作りでも大切なことです。




キャラクターとかウケを狙って、若い子が年配者にタメ口を利く場面がテレビから流れて来ますが、それが笑いの為とは言え、場合によっては不快感を覚えることがあります。

まともなビジネスの社会で若い人が年配者に非礼な態度を取れことなど許されないことです。

ですが、最近は親の躾けが悪く、テレビなどの悪い影響を受けたせいか、若い人に“長幼の序”が欠落しているようです。

年上の人に対する尊敬とか気遣いや言葉使いに配慮が無くていけません。

先輩の話しの途中に口を挟むのは、敬いの姿勢が欠落しています。

年配者が教えてくれる慣習や歴史の話しに持論を展開すれば、可愛気がありません。

自論やウンチクを年配者の前で披露すれば、目上の人の面子を潰すことになり、贔屓にしてもらえません。

先輩や上司に可愛がられ、贔屓にしてもらえるような躾けが薄れてしまったようです。


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