2014年09月


今の時代、“下積み”という言葉をあまり聞かなくなった。

なまじ職場で“下積み”を押し通せば、若者が離れてしまうし、昔ながらの辛抱や忍耐を強いれば「パワハラ」だとか「ブラック」と言われて世間から誹謗されかねない。

若者が学校を出て仕事に就けば、昔は仕事の意味や価値を知るために、下働きをすることが当たり前だったが、昨今では勤めてすぐに一人前扱いされたがる若者が多い。

回転寿司の厨房で働く人が、寿司職人気取りで寿司を語ると呆れてしまう。

寿司という食文化の下積みを経験すること無く、ロボットが成形したシャリに切り揃えたネタを乗せるだけの作業員が、どうして寿司職人といえるのだろう。

時代に合わせ、若い労働力に迎合する姿勢が仇になっている。

仕事人には下積みが必要だと思う。






ベネッセの情報流出で、同社が顧客に500円の金券を謝意として配る。

この総額が200億円にも及ぶのだが、果たして金券の一策は妙手なのか悪手なのか。

4600億円もの売上規模を誇るから、経営への影響は“軽微”とみているのだろうが、利益から見れば通期の利益とほぼ同じ金額だ。

詫び料や対策費などの関連費用を計上すれば当該期は赤字に転落する。

それで会社の信用が原点復帰すれば、今後の舵取りでV字回復が出来るかもしれないが、果たして失った信用を取り戻すことができるだろうか。

事業自体が老朽化しているので、新しい事業の仕組み作り次第ということになるかもしれない。






ロシア産のワラビを北海道産と偽って販売していた北海道の事業者が摘発された。

国内には野生のワラビが自生する場所がまだたくさんあるのだが、山に分け入って採取する山菜採り親爺が居なくなったことと、採ってきたワラビを選別や下処理する親婆が居なくなってしまったから、国産が流通に乗ることがなくなった。

田舎では自家消費する分しか山菜を採らなくなったので、国産の野生ワラビは八百屋でも見ることは稀だ。

採ったワラビの可食部を下処理して、手首ほどに束ねて、木灰で灰汁抜きして、冷水で洗浄する工程は、商売として大量にやるのは年寄りには辛い。

国産野生ワラビが貴重であることを庶民も知っているのだから、事業者は初めから「ロシア産」と謳えば良かったろう。

儲けに目がくらむと、消費者への思いが薄れて、悪い知恵が湧いてくるのだろうか。




自転車を漕いでいると、向かいから中学生が自転車でやって来る。

50m先で動線が同じであることに気付き、中学生の動線を回避して右側を走るように動いた。

20mほどに近づいたら、学生は私の動線が側に進路を変えてくる。

学生を良く見ると、携帯電話の画面に夢中になって進路を見ていない。

危険を感じて大声で
「おい!前を見ろ!」
と叫んだ。

間一髪、衝突を回避してすれ違ったが、こちらが回避しなかったら事故に遭っていたかもしれない。

「ながら運転」の危険性を痛感した。

振り返ると、彼の学生は何事もなかったように携帯を再び覗きながら走り去って行った。

説教するために追いかける体力が無いことが口惜しい。






賢いのか、話が巧いと言うのか、言い合いになると何だか分からないうちに相手のペースで論争が展開されて、思惑と違う結末になることがある。

後になって考えると、そもそも非があるから謝罪をさせなくてはいけなかった話が、どういう訳か話題が違う方向に流れてウヤムヤになってしまった。

毎度のことだが、「また論点をすり替えられてしまった」と後悔する。

非を認めない、誤らない。今までそういう場面が来ると巧みに論点をすり替えて逃げて来た。

「奴と話しても意味が無い」と烙印を押すことになる。

言葉巧みに相手を騙して来たのだろうが、相手の理解を得られず、心が離れて、結局一番損をしているのだ。

相手を騙し続けて人心が離れていることを伝える気にもならなくなる。





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