2014年01月

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防犯カメラで安全な未来を創る株式会社ガリレオ
 
3.11の東日本大震災があったころから、2年間ほどは防災対策に意識が働いたが、時が経つに連れて防災意識が薄れて、イザの備えは乏しくなってしまった。
 
身の回りにはホコリが被った非常防災用品があるが、点検も見直しもしないで放置されている。
 
備えた飲料の消費期限に問題がないか、
用具は健全に使えるものか、
点検や確認が必要だが、差し迫った危機を感じないから手つかずになっている。
 
東海・西南海地震の兆候がにわかに現実味を帯びて報じられるようになったので、防災の心構えを今一度、緊張感を持って取り組む必要を感じる。
 

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防犯カメラで安全な未来を創る株式会社ガリレオ
 
いつからだろう、テレビを観ることが少なくなった。
 
アナログ放送が地デジに切り替わったころが転換期だったのか。
 
最近は雑誌の見出しにもテレビ離れが上るようになったようだ。
 
「テレビがつまらなくなった」
と感じて見なくなったのは、どこのチャンネルを見ても、お笑い芸人が番組を仕切り、芸人がコメンテーターに並ぶ番組作りのマンネリ化に嫌気が差したからだ。
 
お笑い芸人はお笑い芸を見せればいい。
 
仮に賢く優れた知能を持っているお笑い芸人でも、知性を表に出したら本来のお笑い芸が汚れてしまう。
 
お笑い芸人は、馬鹿面を意図的に表して、人々に笑いを提供する仕事に徹すればいいと思うのだが。
 
お笑い芸人が番組を仕切り、賢そうに振る舞う様子の番組に辟易してしまった。
 
番組を制作する側は視聴率を気にして芸人を使うのだろう。
 
お笑い芸人が人気で、視聴者の側も面白い番組を追いかけるからだろう。
 
需要と供給のバランスだから文句は言えないが、オヤジ連中にとって面白い番組が減ってしまったように思う。
 
 
 
 

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防犯カメラで安全な未来を創る株式会社ガリレオ
 
23年前に独立したころ、36歳の自分の手は、機械の組み立てや加工で油まみれ・傷だらけで、ゴツゴツしていた。
 
製造現場の仕事を社員に譲って、設計や営業の現場業務に従事するようになったら、手が汚れることも無くなってキレイな手に変わった。
 
今は肌に艶が無くなって、シミが見えるようになってシワが増え、年波を隠せない手になった。
 
自分の手にすら歴史が刻まれていることを知る。
 
一番好きだったのは傷だらけでゴツゴツしていた手だ。
 
 
 
 

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防犯カメラで安全な未来を創る株式会社ガリレオ
 
その昔、「沈黙は金、雄弁は銀」と教えられて、雄弁よりも沈黙の方に価値があり、男子は多く語らず黙して働けと言われた。
 
今の時代、情報化の時代は、黙っていたら勝手に解釈されて泣きを見ることが多い。
 
事実が歪曲されて正義が誤解されることもある。
 
事実を正しく発信することが大切だ。
 
出来事や結果を正しく発信して、誤解を生まないためにも「沈黙は禁」と言える。
 
偽善が横行して、詐欺が正当な商行為のように伝わってしまう時代だから、沈黙は決して得策とは言えない。
 
 
 
 

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防犯カメラで安全な未来を創る株式会社ガリレオ
 
処世術ほどの話しではないが、子供時分から親父に「可愛気がない」と叱られ、社会に出た頃には、先達に可愛がられる要諦をよく聞かせれた。
 
ご馳走になったら黙って食べていないで「美味しい」と言え。
 
先達の話しは黙って聞かず「はい」と返事せよ。
 
先輩よりも遅く職場に入るな。
 
 
職人社会の弟子育て論をそのまま強制された。
 
今になれば、多くの先達に可愛がられ、贔屓にしてもらって今があるから、親父の教えは感謝している。
 
こうした要諦を教えられていない現代の若者は、どうも可愛気が無くていけない。
 
「引き立ててやろう」と思えない。
 
飯を食わせても、褒美を与えても、土産をあげても、何の反応もしないから、うれしいのかどうかが分からない。
 
「可愛気がない」のだ。
 
 
 
 

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