2013年03月

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自分の商売が不振になって堕ちて行くときは、同じように斜陽化する商売の存在に安心します。
「悪いのはウチの業界だけじゃない」
とか
「俺の経営方法が悪いわけじゃない、みんな同じだ」
と思えるような新聞記事や話を聞くと、何とも心癒される感じがするものです。
 
こういう感覚は、サラリーマンには分からないでしょうし、商売人ならでは感覚かもしれません。
「他人の不幸は蜜の味」なのかもしれませんし、必死に頑張っても行き詰まってしまったときは、自分で自分を慰める材料が欲しくて、堕ちる他社情報が一服の清涼剤になったりします。
「あの○○社ですら・・・」という出来事は、行き詰まった自分の経営の良い言い訳題材になります。
 
しかし所詮は言い訳材料で、自分の経営が堕ちて行く事実は「私のダメ経営の結果」でしかありません。
何度も、何度も、同じことを繰り返して今に至っていますが、もしかしたら、この先も「他人の不幸」記事を探すときが来るかもしれません。
みっともないと恥じ入ります。
 

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新聞の相談コーナーに悲痛な相談が寄せられていました。
専門コンサルタントのアドバイス回答は読みませんでしたが、随分可哀想なお嫁さんです。
 
嫁ぎ先は飲食店を営んでいて、店を夫婦二人で切り盛りしているようですが、忙しさで苛立つと、ご主人が客前に関わらず奥さんを罵倒したり、時には暴力を振るうようです。
「良い関係を維持したいがどうしたらいいか」という奥さんの相談でした。
 
男が、オヤジが、ひ弱な女房・子供を相手に辛抱が利かないのは何故なのでしょう。
昔はどんな苦労も嫁いだら辛抱するように娘が諭されて嫁に出された時代でしたが、現在では嫁いだ女性が辛さに耐え忍ぶ社会ではありません
 
男たる者の生き方とか、男の哲学を、親父が息子に躾けない時代の弊害でしょうか。
弱い者、女性を守るという哲学を持ち合わせていない男が増えたように思います。
 

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若いということは可能性が大きいということです。
失敗の結果に悔やんでも歩みを止めない限り、先々で何度でも繰り返し挑戦する時間があるのですから、「若い」ということだけで無限の可能性が秘められていると解釈できます。
しかし、どれほどの若さを持っていても、挫折で歩みを止めてしまったら、可能性はすべて放棄されてしまったことになりますから、若者が挫折によって歩みを止めることは実に勿体無いことです。
 
年を重ねて、いよいよ晩年を迎えていながら、失敗や挫折でも歩みを止めることなく、自らの可能性を信じて歩み続ける御仁もいます。
 
一度の挫折に歩みを止める若者と、数え切れない挫折でも諦めずに歩み続ける老人。
若い老人と、年老いた若者と言えるのでしょうか。
自分の可能性に、自身で終止符を打たないチャレンジ精神だけは、何時までも持ち続けたいと思います。
 

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金属加工業者さんが「仕事ありませんか?」と問い合わせがあって来社された。
不景気続きで受注が減り、相当に困っている状況を聞かされた。
設備が整っていて、自動車業界の厳しい品質とコストで揉まれて来たと思うので、手始めに僅かな仕事を頼んでみることにした。
 
納期には間に合ったのだが、初めての仕事のためか、仕様通りの出来になっていない。
事前の仕様合わせというか、意志の疎通が十分ではなかったかと、発注した当社の反省点もある。
しかし、業者さんの営業姿勢には品質以上の問題が見られた。
 
「言われた通りに作ったからウチの責任じゃない」という姿勢が強すぎて、これでは話しが前に進まない。
営業姿勢が横柄で、一歩譲って話しをまとめようという姿勢がない。
こんなことだから、この不況の中で、整理する対象業者に入れられてしまうのだ。
どんな時代でも、お客様の側に立って良い商品作りとか、お客様に役立つ姿勢を持っていれば、仕事は減っても切られる業者にはならないはずである。
 
仕事が減らされて行き詰まる企業には、それなりの理由があるということだろう。
原因は世間とか相手にあるのではなく、必ず自分の側にあると考えなくてはいけない。
 

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職場仲間に手伝ってもらいながら「ありがとう」と言わない、仲間に迷惑を掛けておきながら「ごめんなさい」といえない人は、将来を期待できない。
そんなことは大人の常識だから誰でも分かっていることだから、そんな奴はいないだろう。 と思うかもしれないが、こういう人が結構多くいることが実態だ。
 
総務の人が毎日早く出勤して職場の掃除をしてくれる。
前日に散らかしたまま直帰してしまった営業員の机を綺麗に整え、今日の仕事を快く始めてもらいたいと願いながら、掃除に精をだしている。
出勤した営業マンは前日に散らかしたまま帰った机が綺麗になっていることも意に介さず、平然と仕事を始める。
見かねた人が「礼くらい言ったら・・・」と言えば、憮然とした表情で「すんません」と言葉を発する。
営業マンは、「掃除は総務の仕事」くらいに思っているのだろうか、まるで有り難迷惑といった顔をする。
 
仮に組織の役割分担だとしても、人にしてもらったことに感謝の心が持て無い人は仲間の心・思いやりが長くは送られない。
こういう人には「ありがとう」という言葉の持ち合わせがないのだろう。
 
食後に奥さんがお茶を出してくれたときも、こんな人は「ありがとう」と言わないだろう。
朝家を出るときに、奥さんが靴を磨き、揃えてくれていても、「ありがとう」と言わないだろう。
してもらっていることが当たり前に思う人に感謝の言葉は持ち合わせていない。
だから職場で「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉を使えない人は、将来を期待しなし、管理者に用いないようにしている。
 

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