2013年02月

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昭和43年から52年までの間、中学2年から大学を卒業するまで、毎年12月は米屋で正月用の餅つきのアルバイトをやらせてもらった経験があります。
毎朝5時から夕方7時まで、実質12時間労働で朝飯と昼飯の2食を出して下さって、日給が4000円(時給330円相当)だったと記憶しています。
仕事は重労働でしたが、こんな自分を使って給料を下さるから、賃金に不満など全く無くて、心底有難いと思ったので、誰よりも精一杯働きました。
 
当時、母親から良く聞かされました。
母親が若い頃、機織女工として奉公に出された昭和初期、1日2食で16時間働かされ、賃金はわずかだった苦労の話です。
そうした母親の若い頃の苦労とか仕事環境を聞かされていましたから、自分が米屋で働いていたときは、「自分は随分恵まれている」と信じて疑ってもいませんでした。
 
母親の時代に比べて私の時代は仕事が随分楽になり、待遇も恵まれた社会になりました。
私の世代より20年若い人たちの仕事環境や賃金を見ると、更に恵まれています。
さらに20年若い、今20歳代の若者達の仕事環境や賃金を見ると、もっと恵まれ楽になっています。
 
しかし、母親の時代も私の時代も、仕事や賃金に不満を言わなかったのに、今の若者は仕事環境も賃金も恵まれているのに、ちょっと辛い仕事に就かせると不満を言い、少しばかり仕事を覚えると給料の不満を語ります。
「甘ったれている」と思います。
 

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厳しい不況時代ですから価格競争に負けないように、会社の固定費を削減して、少ない利益でも採算が取れるように工夫します。
お客様に提示した見積書も競合先が当社よりも安値を出しますから、更に経営努力を重ねて、競合先に負けない見積書を出さなくてはいけません。
 
乾いた雑巾を更に力いっぱい絞ったような努力を重ねて、限界の見積書を出しましたら、お客様も大いに喜んでくださったので 「努力が報われたなあ」 と職場全体が歓喜しました。
ところが客先担当部長から妙な連絡が入りました。
「競合社の2番手とも大きな価格差があるから、差の半分を上乗せして、その上乗せ金の半分を現金で戻して欲しい」
つまりリベートの要求です。 
呆れました。
 
下請業者の必死の努力を悪用して、私服を肥やす不埒な輩。 
取引はすべてご破算です。
性根の腐った会社と取引すれば、当社に腐った社風に伝染します。
 
この商談窓口の部長の悪行を、客先会社の社長さんは知っているのでしょうか?
 

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永年お付き合い頂いている取引先が、新しい店舗ブランドを立ち上げることになって、益々店舗網を広げる繁盛振りは素晴らしい経営だと感心します。
新しい店舗ブランドの立ち上げに際して、従来から取引していた設備業者も全て見直しを図るとの御沙汰があって、新ブランド店の防犯設備は新たな同業者との価格競争になりました。
経営努力によって実現できる値引きも限度がありますが、業界随一の低価格を自負して来た当社ですから、同業他社に価格で負けるわけには行きません。
尚且つ、品質とサービスを従来通りに維持するとなれば難しいことですが、こんなことは当たり前な出来事ですから、何とかお客様の要望を叶えなくてはいけません。
 
「永い取引の慣習にアグラをかくな!」という教訓だと思って、経営努力しなくてはいけません。
 

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会社経営は実に難しく、思い通りに行かないから面白いのかもしれない。
 
毎年、経営計画書を配り、年度始めに時間を掛けて説明し、毎月進捗状況を確認しながら、事あるごとに再び方針を説明するが、方針は末端まで周知されない。
 
例えれば、「大阪に行け」と指示しているのに、社員が買って来たチケットを見たら、ある社員は北海道行きの切符、ある社員は新潟行きの切符を買ってくる。
幹部の切符を見たら、さすがに大阪行きの切符だったので安心したら、出発日が違っていた、などという様子なのだ。
違う切符を買って来た社員達を叱ってばかりでは埒が開かないから、経営者として「方針の示し方が曖昧だったか?」とか、「もっと具体的に指示すべきだったか?」と反省し、苛立ちを納めるしかない。
 
零細企業の経営とはこんなものだ。
こういう事例をケーススタディの課題にして管理者会議で教育する場合があるが、聞く側の管理者はだいたい他人事と思って笑っていることがある。
「バカな奴がいる」と思っているだろう。
笑っている自分自身の問題だとは感じていない。
 
しかし懲りずに繰り返し、繰り返し、方針を伝えて組織の方向を一つの目標に絞らないといけない。
10回言って分からないときは100回でも説明する。
懲りるわけには行かない。
これくらいのことが面倒だとか、人材に恵まれないなどと嘆いていたら、中小企業の経営者は続けられない。
 

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新調したスーツに袖を通す時、気が引き締まって「今日はやるぞ」なんて気分になる。
新しいノートや新年度のダイヤリーに書き始めるときは綺麗に文字を書き始める。
新車を購入した時はガラスやボディの汚れをマメに拭いて、綺麗なままで乗り続けたいと思う。
こういう気持ちは誰にでもあるだろうし、新鮮な気持ちを持つことはいいものだ。
ところが、大事にしていた車に傷が付き凹んでしまうと、車の清掃回数が減って、新しい時は通りもしなかった細い道も傷がついてしまえば「まあいいか」と思って通るようになる。
ダイヤリーだって、年末に書き込む文字を年初と比べれば明らかに雑になって、年初に筆を入れた当時とは明らかに使い方が雑になってくる。
 
「初心忘れるべからず」と言うが、誰もが初心を忘れるものだから、諺で説いているのだろう。
初心のままで貫徹できるほど、几帳面で根性や真面目さを持っていないから、私の場合は「日々新らたに」という勝手なやり方をしている。
始めに決めたことを長く続けられないから、毎日その日分の決意をしようという訳だ。
今日の一日だけしか決意しない。
明日は明日で新らたに決意する。 
結構都合がいいものだ。
「今日から頑張るぞ!」何て思わない。  
「今日一日だけ頑張るぞ!」にしてしまう。
根性なしの人間にはスゴク向いている考え方だ。
嫌なことばかり続いても「今日だけガマンする」と決めれば、嫌なことや辛いことでも乗り越えられる。
今日の一日だけ だな。
 
 

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