kurohba

人事考課をするようになって、35年くらいになるだろうか。
人が人を査定評価するのだから、いくら合理的に客観的な査定に努めようと思っても、主観が介在するから難しい仕事だ。

そもそも、仕事の査定がテストの点数のように数字だけで判別できるなら良いが、事務的な仕事・開発の仕事・企画の仕事・マネジメントの仕事といった数字で表すことが出来ない仕事になると、査定の仕事は主観に頼ることになる。

数字で測ることが出来る営業や販売の仕事なら成績が反映されて、客観的な評価になり易いが、期間成績で5倍の差があったら、給与も5倍差を付けられるかというと、そういうわけに行かない。
この辺が矛盾しているから、その矛盾をどれくらい合理的に整理するかが必要だ。

部門から上がってくる人事考課表を審査すると、部門長の主観が介在していることがあって、好きな部下の査定は良く、嫌いな部下の査定が悪いことがある。
「何だ!この査定は・・・!」と叱って書類を突き返すと、次は一律のパーセント査定で個々の仕事の評価は査定に組み込まれなくなる。

人の生活を左右する給与の査定だから、真剣に考課に取り組んで欲しいのだが、そういった事の重要性が軽んじられるから苛立ってしまう。


自身も査定を受ける立場だった時代、年間で10日すら休みを取れないほど働き、台湾や韓国へは日帰り出張で、収益では会社の2割を担っていたが、社長との年収差は1/10、部下の部長より少なく、課長よりやや多い程度で、考課の憂いは嫌というほど味わった経験がある。


多くは6割に一律パーセント、成績が3割、1割に勤怠や意欲や協調性が反映される制度を施行するが、それでも仕上がった考課表には疑問が着いて回る。

これからの時代、普通の仕事ぶりの人は世間相場程度で、企業活動への貢献度が高い人には破格の報酬を与える制度が必要なのではないかと思う。
35歳で年収400万円の人と同年齢で年収1200万円の社員が、同じ職場で活動するのが当たり前になる制度で良いのではないかと思う。

一方は普通に勤めを果たし、他方はビジネスをドラスティックに展開して組織を牽引する。
どんな仕事をやっても大差ないことが、むしろ“不公平”なのだと思う。