商談


家庭菜園でキュウリを作るのに、神頼みしたって実りは得られない。
土を耕し、元肥を入れて、種を撒き、水を与えなくては芽も出ない。
そもそも“種”を撒かなきゃ芽すら出るわけがない。
自然の道理だ。

海に釣りに行って鯛を釣るのに、針に餌も付けずに仕掛けを投げ込んでも、鯛は釣れない。
撒き餌を効かせて魚を集め、海底付近に餌を漂わせて、用心深い鯛に食い込ませる。
天に向かって合掌し、「釣らせてくれ」と頼んでも、理に叶わなければ釣果は無い。


営業担当の数字が伸びない。
営業の部門長の報告を聞けば、売れない理由を饒舌に語る。
報告内容はなかなかの説得力があって、聞くほどに「なるほど・・・」と思う。

しかし、営業の数字が伸びないのは、“決定的に商談の数が少ない”からだ。
月に100件の商談をする人と、月に5件の商談をする人に、成果に差がないことなど、ビジネス40余年の経験からお目にかかったことがない。

キュウリの栽培で5粒と100粒の種まきが、同じ収穫になるはずがない。
5回しか投げ込まない餌と100回のそれとが、同じ釣果であるはずがない。

種を撒かなきゃ芽は出ない。
お客様にアプローチしなきゃ、商談に繋がるわけがない。

今の時代、待っていて注文が入り続けることなどありえない。




 

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女房の電話の話しが聞こえて来る。
久しぶりの友達との話しらしく「~~今度、会おうよ~」

この手の話しは愛想良しの話しで、当の本人は“会う”気はほとんど無いのだ。

取引先の商談でも「これから先も御社に発注するから、この見積、もうちょっと値引いて・・・」なんて話しはよく出てくるが、その場限りの値引きに使われる常套句。

「分かりました。次回分の注文書を頂ければ、今回分の値引きを受けます」と切り出せば、先様は大体困り顔になる。

「今度とオバケは見たことが無い」のだ。

本当に会いたい相手なら「今度会おうよ」と言われたときに、「何時にする?来月空いている日は?」と話が具体化する。

「今度会おうよ」は概ね社交辞令で、多くの人がそう思って使っているが、ビジネスの場では社交辞令と使い分けなくてはいけない。

ビジネスに「そのうちに・・・」という時間軸はない。
「〇月〇日〇時までに」という具体的な時間軸が仕事には必要だ。

もっと、ビジネス社会には「今度」のオバケより怖い魑魅魍魎や妖怪・怪獣がウヨウヨしていて、のんびりしていたら、食い殺されてしまう。
そんな恐ろしい輩を見たことが無いアマチュアビジネスマンは、呑気に「また今度・・・」と可愛いオバケと戯れて浮かれている。








 

サンマ漁船

私が就職活動をした昭和52年当時は、オイルショックの影響で経済が低迷していたので、企業は新卒の採用が控え目だったから、同期の学生は総じて就職難で苦労した時代だった。

また海洋学部という特異な学部だったせいで、海事関連の就職先企業は限られていた。
200海里経済水域(=今で言う「排他的経済水域」)が施行されたこともあって、造船や漁業などの海事産業が低迷期にあったことも重なって、同窓の学生の多くは、運輸やサービスや小売など、海洋学とはまったく関連がない企業に就職した。

運よく船舶関連の中堅企業に勤めることが出来たが、不況の最中だったので、新卒ながら今の時代とは違って、相当に厳しく扱われた。
「新卒」などと言ってやさしく丁寧な扱いなどされず、教育もなくて、入社翌日にはすぐに現場に突っ込まれ、年配社員に出来の悪さを頭ごなしに叱られた。


今年の大卒者の就職率は97%を超えていたそうだ。
学校を出れば、引く手数多だから、就職活動は「自分の希望する職種や就労形態に合った企業を選ぶ」という点で、希望に合う企業に入ることに苦労すると聞いた。

「就職できるかどうか」で苦労した私の時代とは大違いだ。

しかしながら、振り返って思えば、就職難の時代で苦労の経験が出来てよかったと思う。
厳しい仕事観を詰められて、その経験はとても貴重だったと、今更ながら思う。




仕事観が大きく違った現代の新卒者は、30年後、50代を迎えて、日本の産業の屋台を担う世代になったとき、どんな姿勢でビジネスに臨んでいるのだろうか?

 

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思い通りの結果が得られなかった場合、結果を嘆く前に、原因を探らなくてはいけない。

手順の積み重ねが結果に繋がっているから、思い通りの結果が出ないということは、どこかに手順の悪さがあったことになる。

原因究明を面倒臭がらず、絡んだ糸を辛抱強くほぐして行くような作業だ。

原因究明ができれば、次からは絡みやすい手順や工程が想定できるようになるから、次に手順を組み立てるときに、企画や計画の質がグンと上がる。


営業が受注活動で失注してしまうのも、競争見積で負けてしまうのも、何かの原因があるはずだ。

人事がうまく人集め出来ないことを、「求人難の時代」と諦めず、原因究明をして手順を工夫すれば、良い結果に繋がるはずだ。
求人には豊富な経験があるから、人事に“効果的な手順”をアドバイスしたところ、人事担当者の精力的な活動のお陰で、今期は計画を前倒しする採用が実現した。




趣味の菜園で収穫の結果が期待外れになるのも、原因を究明しなければ、次年度も失敗を重ねる。

海釣りで超遠投に取り組んでいるが、思い通りの飛距離が出ないのは、自分の遠投法に何か原因があるから、それを探らないことには飛距離は伸びない。

結果が期待通りでない場合、その原因究明をする面倒臭さが「楽しい」と思えないと、その道の一流には至れない。





 

老後生活資金

年金だけじゃ不足する老後資金が2千万円だって話しは、実に現実的な話題だ。
政府は選挙前だから、マイナスイメージのこの話題の火消しに躍起だが、庶民は暗黙に承知している話しだろう。

だが、現実問題として、2千万円もの貯えをすることは容易じゃない。
いまの給料で生活するのが精一杯で、分かっていても、とても老後資金のための貯蓄に回すユトリなんて無い人が大半だろう。

子育て世代は子供が成人するまで金がかかるから、とても貯蓄に回す余裕がない。
子供が独り立ちして、住宅ローンも完済し終えて、やっと夫婦二人だけの生活になった60歳頃から老後のための資金作りを始めても、定年までの5年間で2千万円を貯めることは難しい。

先が読めていても、解決策が見込めない話が老後資金作りだ。

当社に勤める社員が老後に憂えることなく、老後資金を手当て出来るような就労の形態や経営の在り方とは何だろうか?

定年を廃止して、本人の健康が就労に耐えられるなら、何歳までも務められる制度が望ましい。
また、この先、30年後、あるいはその先々も、安定して収益を上げられるようなマーケットに会社を導いて行く経営が必要だろう。

せめて、当社に勤める社員だけは、老後の心配をしなくても済むような会社にしたいものだ。



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