nakigao

大人が大衆の面前で泣く姿は、見ていて見苦しい。

爆笑映像で笑いすぎて涙が止まらないことや、死別の悲しみで涙を流すことはあるが、謝罪や反省や失敗で、大の男が人前で泣くのはみっともない。

涙が出るほど悔しくて、申し訳なくて泣くなら、人目を避けて、ひっそりと泣けばいい。
布団の潜って、上掛け布団を噛み、声を殺して泣けばいいのだ。


特に、経営トップが謝罪の場で、涙を流すのは、覚悟が見られずに、見ていて情けない。
会社を代表するトップなら、毅然として面前で立ち振る舞う姿が当たり前だ。

仕事で失敗した社員が、頭を下げ、時に涙を流して詫びる姿を見ることがある。
泣くなら失敗の結末を迎えなければいいのに、手順が策略が未熟だから、失敗の経路から抜けられずに結果を迎えることになる。
眼前の仕事ばかりに目が行って、先々の見通しや潮流に気を配らないから失敗の起点を見失う。

策略と手順を万全に練って、一つ一つの仕事に全力で取り組み、そういう仕事の積み重ねで結果を待って、それでも失敗の結末を迎えたなら、清々しい気持ちで結果を迎え入れることが出来る。
策や手順が未熟で、なあなあの仕事を重ね、結果を楽観するから、泣きを見るのだ。

大の男が人前で泣くような仕事をするんじゃねぇよ。





 

ビジネス

ビジネスをやっていると、同じビジネスマンなのに、話がかみ合わないジレンマを経験することがある。
そんなジレンマに悩んだ末に、「仕事の重心」などという考えに至り、未熟なビジネスマンには経験が少ないから、「仕事の重心」が分からずに無駄に見当違いの手順を組み立てるという理屈を説いた。

また最近になって、似たようなジレンマに襲われ、深く考え込んでいたら、吉本芸能の芸人闇営業問題で、ビートたけし氏が変わった視点で事件を切り込んでいる記事に目が止まった。

「芸人は猿回しの猿で、猿が客に噛みついたからといって、猿が直接に客に謝ることはない。飼い主がキチンと謝罪をするのが筋だ」

こういう見方は「レベルが違うなぁ~」と感心する。

世界のトップアスリートと国の選抜選手が、同じ競技者だからといって一括りにしたらいけない。
世界のトップと国体選手では、見える景色や意識が別次元に違う。

ビジネス1年生と経営者が同じビジネスマンだからといって一括りにはできない。
仕事をして成果を出し、報酬と受ける点では、同じプロかもしれないが、見えている景色もビジネス意識も別次元に違っている。

経営者と言っても、そこには雲泥の差があって、経営者も一括りにはできない。

この意識の差は、今まで説いてきた自説の「仕事の重心」とは違った領域の話しだ。

仕事観というか、「自分の仕事とはどうあるべきか」という目標意識や使命感を四六時中考えて、そういう観念が明確に持てた人が、組織や業界を牽引できるのだろう。

もっと高いレベルで、仕事観=人生というものを考え続けないといけないと思う。




 

kurohba

人事考課をするようになって、35年くらいになるだろうか。
人が人を査定評価するのだから、いくら合理的に客観的な査定に努めようと思っても、主観が介在するから難しい仕事だ。

そもそも、仕事の査定がテストの点数のように数字だけで判別できるなら良いが、事務的な仕事・開発の仕事・企画の仕事・マネジメントの仕事といった数字で表すことが出来ない仕事になると、査定の仕事は主観に頼ることになる。

数字で測ることが出来る営業や販売の仕事なら成績が反映されて、客観的な評価になり易いが、期間成績で5倍の差があったら、給与も5倍差を付けられるかというと、そういうわけに行かない。
この辺が矛盾しているから、その矛盾をどれくらい合理的に整理するかが必要だ。

部門から上がってくる人事考課表を審査すると、部門長の主観が介在していることがあって、好きな部下の査定は良く、嫌いな部下の査定が悪いことがある。
「何だ!この査定は・・・!」と叱って書類を突き返すと、次は一律のパーセント査定で個々の仕事の評価は査定に組み込まれなくなる。

人の生活を左右する給与の査定だから、真剣に考課に取り組んで欲しいのだが、そういった事の重要性が軽んじられるから苛立ってしまう。


自身も査定を受ける立場だった時代、年間で10日すら休みを取れないほど働き、台湾や韓国へは日帰り出張で、収益では会社の2割を担っていたが、社長との年収差は1/10、部下の部長より少なく、課長よりやや多い程度で、考課の憂いは嫌というほど味わった経験がある。


多くは6割に一律パーセント、成績が3割、1割に勤怠や意欲や協調性が反映される制度を施行するが、それでも仕上がった考課表には疑問が着いて回る。

これからの時代、普通の仕事ぶりの人は世間相場程度で、企業活動への貢献度が高い人には破格の報酬を与える制度が必要なのではないかと思う。
35歳で年収400万円の人と同年齢で年収1200万円の社員が、同じ職場で活動するのが当たり前になる制度で良いのではないかと思う。

一方は普通に勤めを果たし、他方はビジネスをドラスティックに展開して組織を牽引する。
どんな仕事をやっても大差ないことが、むしろ“不公平”なのだと思う。





 

kokoro
自分のことだけで目一杯なのか、周りに気を配れない仕事ぶりのビジネスマンが多い。
新人なら分かるが、ビジネス歴20年を超えたベテランが、気配りの無い仕事をしているとガッカリする。
こういう輩は家庭でも鈍感なオヤジをやっていて、頼りないやらワガママで、家族のヒンシュクを買っているに違いない。


ガラケーをスマホに買い替えようと携帯ショップへ出向いたら、「何ギガくらい使いますか?」「アプリは・・・」「Wi-Fiは・・・」なんて矢継ぎ早に聞かれても、老人にはそんな専門用語は分かりはしない。
電話機能とメールくらいしか使ったことがないから、長い間、ガラケーで用を済ませて来た老人に、その道のプロが専門用語を使って話を始めたら、初めからチンプンカンプンで説明が耳に入って来ない。
辟易して「また考えてから来ます」と言って店を後にした。

営業マンが客先に提案書を出すときに、監視カメラの解像度や機能やデータ通信機能を専門用語で綴ったら、お客様は訳が分からなくなって、提案書はゴミ箱に直行する。
新しい機能の監視カメラが、お客様の職場にどんな便利を提供できるのか、どんな仕事の効率化が実現出来るのか、やさしく分かりやすく、噛み砕いて説明する提案書であるべきだ。

思いやりとか優しさが無いから、仕事が独善的になって、お客様の共感や支持が得られないのだ。

若いころ、きっと恋をしなかったんじゃないか?と思う。
好きな女性の気を寄せるために、いろんな気配りとか演出に苦悩した経験がないから、思いやりの芽が育たなかったのではないかと思う。

思いやりに欠けているオッサンがウヨウヨいる。






 

倒産

馴染みの小料理屋が閉店した。
もう30年来の付き合いだから、閉店は寂しく感じた。
30代の頃は1週に2度、多いときは週4度くらい通って、晩酌代わりに利用していたが、40代の頃は月に1度に減り、50代の頃は年に2度ほど足を運ぶくらいになっていた。
最近は、店の前を車で通りすぎるだけで、ここ10年はご無沙汰していた。

店主は2歳年上だから、個人営業の料理屋の店主とすれば、まだまだ現役バリバリで動けるはず。
健康を害した話しは聞いていないし、最近フッと見かけた姿も変わりなかった。


閉店の所以を尋ねる気はないが、商売人が商売を畳む理由は「儲かっていない」に尽きる。
客が減って売上が落ちて、採算が取れなくなって、商売は消えて行く。

客の数が増え続けている商売は繁盛し、減り続けている商売は衰退する。
極めて当たり前な商売の原理原則だ。
だから、商売を続けて行くためには、「客」を増やすための仕掛けや工夫が必然だ。

繁盛している店が「今のままやっていれば安泰だ」と思ったら、必ず落ちる時が来る。
今の繁盛を支えてくれる「客」は、いずれ店を離れる時が来るから、繁盛している時でも、増客のための仕掛けと工夫を怠ってはならない。

商売は、実に地道な顧客創造の連続で成り立っている。





 

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