hatiouji -eki


その昔、八王子には幾つかの百貨店があった。

私が中学生のころ、八王子に住む学友を訪ねて来た当時は、伊勢丹・西武・丸井・大丸・ダイエー・長崎屋などがあって、自分が住まう府中とは街の様相が全然違って、「八王子ってすごいなぁ~」と感心したことを覚えている。

その後、八王子の街から百貨店はひとつ二つを消えて行き、今ではすべての百貨店が無くなった。

先だって、9月末日で伊勢丹の府中店と相模原店が閉店した。

百貨店というビジネスモデルの終焉なのだろう。

昔は、薔薇の包装紙(高島屋)、赤黄緑タータンチェック包装紙(伊勢丹)、青と緑の〇包装紙(西武)などにブランド価値を覚えた時代は終わったのでしょう。

郊外の百貨店が消える中、都心の基幹店は今も尚、商売を続けていることを考えれば、百貨店がダメなのではなく、百貨店の存在価値に変化が来たということなのでしょう。

ただ言えることは、“客離れ=客が来なくなって、収益採算が取れなくなったから撤退”ということ。
繁盛店なら閉店する必要がありません。
客が来なくなって、収益が悪化して、採算が取れなくなったから閉店したのです。

商売の原理原則がここにあります。

客が増え続けている商売は繁盛し、客が減り続けている商売は衰退する。

どんな業態の商売でも、お客様を呼び込み、お客様を増やす活動をしなければ、いつか必ず淘汰される。


この原則を忘れてしまったら経営は出来ない。



 

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菜園で作る野菜の種を買うと、種袋には栽培の方法や種撒きの時期の他、発芽率が記されている。
発芽率80%の野菜種なら、20%のロスを考えて、必要苗数の種を撒かなくてはならない。
10株欲しいなら、計算上は13種を撒かなきゃならない。
実際は2倍の20種を撒いて、元気はいい10株を選んで栽培することになる。

そうして選んだ10株が全部うまく育って実りを付けるかというと、なかなかそう巧くは行かず、育てている途中で、害虫や病気に侵されて枯れてしまうこともある。
病害虫だけではなく、日照や気温や雨量によって巧く行かないこともある。

野菜作りも仕事と同じで、成果(結果)を獲得するのは簡単じゃない。


野菜作りには大原則がある。
トマトを欲しけりゃ、トマトの種を撒かなきゃ、トマトは実らない。
当たり前の話しだ。
種を撒きもしないで、ジッと畑を見ていても、畑にトマトは生えて来ない。
神頼みしたって、スマホでトマト栽培を検索したって、野菜作りを学んだって、「トマトの種」を撒かなきゃ実りは得られない。


会社の営業員が受注を増やしたいと思っても、営業員が種を撒かなきゃ受注は入って来ない。
会社の商品をお客様に売り込まなきゃ、注文が来ない。
会社の椅子に座ってパソコンを覗いていても、お客様からの注文は入って来ない。

仮に、テレアポをやっても、野菜種の発芽率に似ていて、掛けた電話の全部が商談になることはない。
「千三つ」という言葉があって、1000のアプローチで3件が商談になれば運がいいと言う。
その3件から受注につながるのは、10分の1と言われるから、1万件のアプローチで3件の受注という計算になる。

この途方もない“低確率”(低発芽率)に懲りてしまっては営業という仕事は務まらない。
懲りずに種を撒き続けた人に成果がついて回る。
懲りて種まきの手を休めた人に成果はついて来ない。

発芽率が悪くても、種まきの手を休めたら、実りは得られない。



 

syodo


自分の行く先に向けて必要な素養を、若い時からコツコツと努力や鍛錬をして積み上げる人は、「覚悟」が備わっている人だと思います。

先だって、環境相になった小泉進次郎氏が前大臣との引継ぎをする場面が放送され、引き継ぎ書に署名する様子が一瞬映されました。
ほんの一瞬の様子だったので細かく観察することはできませんでしたが、「進次郎さん、達筆じゃないか!」と感心しました。

きっと、行く先に向けて、仕事の傍ら、コツコツと毛筆の練習を長く続けて来たに違いありません。
将来、総理大臣という職責を担う覚悟が出来ているから、あの若さにして、将来のための素養をコツコツと積み上げて来た証だと感心しました。

こういう覚悟を持って仕事をして、仕事以外の時間も将来の自分のために鍛錬を積み上げる人は、志を成就する人なのでしょう。
「行く先は〇〇になりたい」「〇〇になるんだ」と語っても、日々の鍛錬をせず、手を合わせて神頼みする程度の人が、念願成就するはずがありません。

事業を担う立場にある人が、立場にふさわしい素養を備えるために努力や勉強を求められているのに、日々の就業時間だけ真面目に務めただけでは、いつまで立っても立場相応の素養は備わりません。

寸暇を惜しんで読書に耽り、知らないことを調べて知識を蓄え、書を習い、先達の知恵を教わり、自らの素養を日々高めることに努めなくては、事業を担う人にはなれません。

「やる気はあるのか?」と尋ねると「あります!」と答える幹部社員が、言葉と裏腹にノンビリ構えて、努力鍛錬と無縁の日々を重ねている様子を見ると、「覚悟はねぇなぁ」と見切ってしまいます。





 

setubi


日産自動車が1万2千百人以上の人員と余剰設備を整理する記事が挙がっている。
余剰な設備と人員を整理して事業の体制を組み直すらしい。

この経営改善の根底にあるのは「販売不振」だ。
車が売れ続けている時は、設備を増強し陣容を拡大するが、売れなくなれば使わない設備は置いておくだけで無駄だし、仕事が無い人も遊ばせておいたら“金食い虫”だから無駄になる。

売れている時は加勢に増強拡大し、売れなくなったら捨てるという、非常にクールで人情とか温かみを無視した経営手法は大企業とか上場会社だから出来る経営だ。
会社が株主のもので、株主から委任された経営者は、株主のために株主を見て経営をするから、資本の原理からすれば、こうした経営は至極当然で文句のつけようがない。

これを零細企業の経営者の目線で見ると、整理された人達はどうやってその後の生活を組み立てるのだろうか?という懸念が頭をよぎり、クールに人員整理を発動できない。
零細企業だって、会社法的にみれば会社は株主のものだけど、集う社員さん達の生計の糧になる会社だから、売れている時に雇い入れた人を売れなくなったからと言ってクビにするという訳には行かないと思ってしまう。

合理性の大手企業、情実の零細企業ってところだろう。


売れて業績が拡大路線に乗って、設備と陣容を増強拡大させるとき、「もしも売れなくなった時に余剰な社員さんのクビを切り出すことになるが、それでいいと思えるなら一気に拡大路線を走れ」と零細企業の経営者は自問自答しなくちゃいけない。

事業規模を拡大することが「是」で、資金繰りにも困らず世間相場よりチョットだけましな給与体制のボチボチ経営は「非」のような見方が違うんじゃないかと思う。

1万2千百人に支払う給与だけで400億円以上の合理化だから、零細企業のオヤジには計りようがない経営判断なのだろう。

 




jyurin


趣味の野生キノコ採取は、もう30年にもなるから、それなりに知識と経験を積めた。
登山と違って、山道を歩くことはないので、道無き場所を歩き回るから、山で迷ったことも幾度かある。

初めて山で迷ったときにはパニックに陥り、焦りと恐怖で怖い経験をした。
無用に樹林を歩き回ったので著しく喉が渇き、携行した飲料はあっという間に底を突いた。
何とか戻ることが出来た時、一連の出来事を思い返し、恐怖の体験から教訓を得た。

焦らず、現状を冷静に把握して、帰還の方策を探り出し、無理せずにコツコツと踏み入った経路の記憶場所まで戻ればいいと知った。

何しろキノコ散策は足元を見て歩くから、周りの景色の記憶が無い。
山登りに比べて、キノコ採りの人が山で遭難することが多い所以だ。

幾度かの迷いの出来事も、初めの経験から得た教訓で、然程の苦労をすることなく乗り切ることができるようになった。
若かったころの往復6時間超を掛けての深山散策は、歳と共に出来なくなったから、近年は手軽な散策になって危険とは無縁のキノコ採りになった。


商売経営は深山散策に似たところがある。
未知の場所(マーケット)に踏み込んで、手付かずの市場で収穫を得るという活動は似ている。
深山に分け入るほど迷い易いから、幾ら収穫の夢が膨らんでも、迷ったら無理して進まずに元に引き返すことが肝要だ。

「どうも企てた経路と様子が違うなぁ」と感じたら、事業を元に戻すことが必要だ。
「こんなはずじゃない」と冷静さを欠いて突き進むと、取り返しがつかない迷子になる。




 

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